村社 八坂神社(豊岡市竹野町小丸)
Contents
概 要
社 号 八坂神社
読 み やさかじんじゃ
小埦神社 祭神 建小埦根命 『国司文書・但馬故事記』
所在地 兵庫県豊岡市竹野町小丸183-2
旧地名 美含郡竹野郷小埦、のち小丸村
御祭神
例祭日 10月10日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
稲荷神社
一口メモ
県道1号線、中竹野小学校の北を竹野川を東へ渡ったらそのまま道を少し奥へ進むとすぐに鳥居が見える。参道前のやや広い場所に車を停めさせていただいた。
歴史・由緒等
[註] *1 阿故谷 今の豊岡市竹野町阿金谷にある石原神社は、人皇55代文徳天皇3年秋9月 日下部良氏がその祖、彦湯支命を祀ったものだと思われる。『国司文書 但馬故事記』(第六巻・美含郡故事記)
人皇21代雄略天皇17年(473)春4月 出雲国
土師連 の祖・吾笥 の部属 、阿故氏人等部属を率いて、阿故谷*1に来たり、清器 を作る。阿故は赤土なり。
よって埴 を延ばすことを名づけて、蕩 と云う。ゆえにその場所を蕩森 とも云う。(蕩は止呂呂久 と云うべし。のち単に蕩と云い、また森とも云う。故に阿故を置く谷を蕩と云う) (豊岡市竹野町轟)夏5月 気多郡
陶谷 の人、陶谷甕主 、部属を率いて、また来たり。(気多郡陶谷はいまの豊岡市日高町奈佐路 式内須谷神社:豊岡市日高町藤井)
小埦甕人 また来たり。清器 を作る。
出石県埴野邑 埴田陶人は陶居邑 に移住し、陶器・土器を作る(豊岡市竹野町奥須井)。のち土生に帰り、その業を営む。埴生邑*3は陶谷氏人この地に住み、その業を為すなり。(香美町香住区に土生があるが、「土生に帰る」とあるから出石県埴野邑では?今の豊岡市出石町桐野?)
阿故氏人は阿居王(一に吾笥)を阿故谷丘に祀り、阿故谷神社と申しまつる。(蕩ノ森宮これなり)
陶谷甕主はその祖、野見宿禰 命を陶谷丘*4 に祀り、陶谷神社と申しまつる。(斎主森宮これなり)
小埦甕人はその祖、建小埦根命を小埦丘*5に祀り、小埦神社と申しまつる。(豊岡市竹野町小丸)
埴田陶人は、その祖、大襲盤命 を陶居丘に祀り、埴生田神社と申しまつる。
*2 気多郡陶谷 今の豊岡市日高町奈佐路 (式内 須谷神社(豊岡市日高町藤井)
*3 埴生邑 今の豊岡市竹野町羽入
*4 陶谷丘 今の豊岡市竹野町須谷があるので院森神社かと思っていたが、院森神社の現在地は平地である。陶谷丘に祀りとあるから、鬼神谷の現八幡神社ではいか
*5 小埦丘 今の豊岡市竹野町小丸 現八坂神社
境内・社叢
社叢 鳥居
手水鉢
狛犬
本殿覆屋
境内社 稲荷神社
地名・地誌
『国司文書・但馬郷名記抄』(975)
鷹野郷
鷹野郷は竹野郷なり。鷹野神社鎮座の地。竹野別命を斎きまつる。この故に名づく。
また手研彦命を祀る。
竹野塩浜・加島山・
「太田文」1285年(弘安8年)
竹野郷 今の村数29
宇日・田久日・竹野浜・切浜・草飼・松本・
平安後期まで小埦(オマリ)、鎌倉後期に小丸(コマリ)となり、今は小丸(こまると読む)
地 図
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